かりんどたばた出産報告「帝王切開宣告の巻」 | |||||||||
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6月25日(火)38週と3日め。 私は、二日前からやってきている、強いお腹の張りに不安を覚えながらも、「この痛みは、いざ産まれる痛みにはまだ遠いな…」と自己診断していました。 でもこれは、経産婦の強みでもあれば怖さでもありますよね。 そして自宅から車で7分くらいのかかりつけ『慈恵病院』に、入院セット(着替えやお産に必要なもの)を自宅に置いたまま、もちろん、また帰宅するつもりで、38週の健診に行きました。(AM 11:00) |
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いつものように、尿検査等をすませ、先生の診察を待ちます。 「だいぶお腹が張ってきていますね。」 そういって、先生は、お腹の上からエコーで赤ちゃんの様子を調べられました。 「最低でも3100gはありますね。もういつ産まれてきてもいいですよ。」 ホッとして、そのあと、内診を待っていましたが…なかなか名前を呼ばれません。 「急にお産でも始まって、先生呼ばれて行かれたのかな?…」 やっと呼ばれて内診。今度は経膣によるエコーです。 その後、お腹の張りの間隔を調べる機械をつけて休んでいると… |
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助産婦さんがやってきて 「反後さん。今先生方が、お腹をチクチクするかどうか話し合っているからね。」 「チクチク?」なにそれ… つまりは、私の主治医小山先生と、私が最も信頼し尊敬している蓮田先生(一人目の出産をお世話になった)が、「帝王切開するかどうかを話し合っている」ということらしいのです。 「そんなばかな!ありえない」 私の頭の中に 『帝王切開』 だけはありませんでした。 私には無縁のものと勝手に決めつけていましたから。 |
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そして、ようやく先生からお話がありました。 「子宮筋腫が突然大きくなって、しかもできている場所がよくありません。 子宮の入り口のところです。難産が予想されます。手術を…つまり帝王切開をすすめます。」 「えっ?先生。つい3週間前に普通に下から産めるっておっしゃったじゃないですか!」 先生は、にこにこしながら話を続けられます。「そうなんですけどね。診断は変わりますからね。」 わたしは、それだけは絶対いやだと言い張りました。 「一人目のときも筋腫はありました。でもちゃんと産めたし…。」「それは筋腫の大きさも、それがあった場所も違ったんでしょう。お産に差し支えないところだったんでしょう…」 |
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じつは、私の身近なところに帝王切開を経験した人がいませんでしたので、それについての知識がまったくありませんでした。ですから、この話を聞いた瞬間、ものすごい不安におそわれました。 また、手術ですから麻酔をかけるし、「2〜3日赤ちゃんに会えない。」つまり「おっぱいがあげられない!」ということを聞いたことがあります。 私なりに一人目の子育ての経験から、『今度こそは』という子育て、つまり『母乳育児』について理想のようなものもできていました。その私の経験から言うとそれは赤ちゃんにとって相当なマイナスでしたから。(「おいしいおっぱいと空気の話し」 「八木先生の講習会」のページ参照) |
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それに「建設日記」第1回でお話したように、もう私はこれまでに、3回もお腹を切る手術を経験しています。これで4回目になるのです…! 4回もおなかを切る…それこそ考えたこともありませんでした。 とにかく40歳という高齢です。普段から体力に自信がある方でもありません。受けるダメージは、想像を超えたものになるに違いありません。 手術と名のつくものを数回経験しているからこそ、術後のことはよくわかります。 もう2度と経験したいものではありません。 |
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「私絶対に普通分娩できます!」 ああだこうだと食い下がる私に、小山ドクターは、さっき撮ったエコーの写真を見せておっしゃいました。 「せいぜい4センチくらいと思っていた筋腫が、急に5.8センチになっています。それもこんなに赤ちゃんが出てくる間際のところです。」 5.8センチ…それは、2年前 子どもを授かりたいがために受けた 子宮筋腫の摘出手術でとってもらった、筋腫の大きさに匹敵します。 そして写真には、子宮の出口のすぐそばまで来ている「赤ちゃんの頭」と、そのまたすぐ近くに大きくふさがるようにある「筋腫」が、写し出されています。 「ただでさえ、赤ちゃんは産道のぎりぎりのところをとおって(10センチ)産まれてくるのですよ。それなのにこんなに大きな障害物まであったら…難産です。」 「でも…普通に産みたい!…」 その私に先生はとうとう 「反後さん。赤ちゃんの頭は…でません。」と『帝王切開宣告』されました。 「…先生…頭が出ないのなら…産めないじゃないですか…産めないんですね。」 「…わかりました。」 やっと納得した私に、先生も付き添ってくれていた助産婦さんもようやくほっとされて、そのあとは、次々と手術や今後の予定について説明がありました。 |
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わたしは、一度だけ家に帰りたいという願いを申し出ました。 まさかこんな展開になるとは想像もしていませんでしたから、家の中はいろんなことがそのままになっているし、なんといっても雄大のことも気になります。 「いってきます。」「いってらっしゃい」と送り出して、それっきり入院。2週間以上帰れない。どんなに心配するだろう。家族もみな、「たとえお産しても5日で帰ってくる。しかも普通分娩」のところでしか考えていませんし。いろいろ準備したい。子どもに説明もしてあげたい。 |
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ですが、その願いは聞き入れていただけませんでした。 「これだけお腹の張りが来ていますから、(その頃10ぷん間隔)いつ何が起きるかわかりません。このまま本当に陣痛になったら即手術です。今のところ、明日の朝10:00に手術を予定します。」 |
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それもしかたがない。といよいよ「まな板の上の鯉」の心境になった私は、助産婦さんと二人になって、術後の子どものことや、母体のことについて説明を受けました。 「産道を通って産まれてくる子は、産道を通るという、ものすごいストレスを受けて産まれてくることになります。そのことによって、お腹の外の世界に適応する体になって産まれてくることになるのです。でも、手術でいきなりお腹の外に出された子は、そのストレスを受け止めることができません。だからまる一日は保育器に入らなければなりません。」 「えっ、保育器?なんてこと…かわいそうに。」 「母体については、普通の手術の経過と同じで、手術をした当日を0日と数えると、1日目の夕方からベッド脇に置いたポータブルトイレに起き上がります。 2日目からは歩行して自分でトイレに行き始めます。 3日目にようやく赤ちゃんと対面。おっぱいをあげることができます。 食事は、手術前日のよる10時から絶飲絶食。手術の翌日の夕方から流動食が始まります。その後は、排ガスがあれば徐々に食事が変わっていきます。…」 |
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わたしは、ほんの数時間前まで予想もしていなかった展開に、なかなか頭の切り替えができません。しかも、もしこのまま陣痛が始まればその時点で手術…だなんて…そんな私を気遣って、助産婦さんは、できるだけ丁寧に不安をあおらないように接してくださいました…。ですがやっぱり、まだ目の前の現実になかなか思うように対応できません。おそらくその時の私の顔は、相当に青ざめていたに違いありません。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
なんども云うように手術はもう何回も経験しているし、お産も経験しています。 帝王切開って、お産と手術をいっぺんにするみたいなものだな…助産婦さんの説明に、なんとなくそんなイメージを持つことで精一杯でした。 |
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そのあと、家族にTELで報告。主人、家で待っている母、会社にいる妹。そしてもうひとり、不妊治療のひとつとして、もう10年ずっと通っている「整体」の城島先生。みんな予想もしていなかった私からの報告に驚き、そしてとにかく励ましてくれましたが…そのショックも私に伝わってきました。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
突然の入院・手術を覚悟し、外来から入院病棟に案内されたのがPM3:00。 健診で病院に到着してから、あっという間に4時間が経過していました。 そして、その19時間後の翌朝10:00 私は手術を受ける予定の身になっていました。 私の頭の中は、真っ白でした。 |
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≫つづく | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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