エコマンションの建設日記「第1章−7.二人の助産婦さんと一冊の本との出会い」 | |||||||||
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残務整理が峠を越え、老人保健施設の設計もひと段落したころ、平成7年1月。 私は8年ぶりに妊娠。建設日記第1回から第3回のような経過をたどりめでたく出産! なんとか無事親子で退院することが出来ました。 ところが妊娠直後に発見された子宮筋腫のため、なかなか産後の出血が治まらず、とうとう再入院。 麻酔をかけて、子宮の中に溜まった血を掻き出す手術を受けました。 長い入院生活に加え、またこの手術。ますます脚力、握力の回復は遅れていきました。 しかしあたりまえですが、子供はお腹がすいた!といっては泣き、オムツを汚した!といっては泣き、子育てに待った!はありません。 早く元気になりたい!早く自分の腕の力だけで子供を抱いてやりたい!と焦りました。 その私の子育てを支えてくださったのは、近くに住むベテラン助産婦、鈴木ワキコ先生でした。 もう70才代の先生は、数えきれないくらいたくさんの赤ちゃん、母親を見てこられた方で、 沐浴から子供と母親の健康管理に至るまで、きめ細やかにアドバイスしていただきました。 私は自分の母と同居、祖母もすぐ近所におり恵まれた環境ではありましたが、それでも母の時代から30年も経っていれば、子育ての常識もだいぶ変わってきていました。 鈴木先生のアドバイスは本当にありがたかったです。 息子の心臓のことにしても専門の病院で検査を受けた結果、やはり穴が確認され、どうなることかと周囲はたいへん心配しましたが、私自身は、鈴木先生の 「ああ、そういう赤ちゃんはたくさんいますよ。大丈夫、自然と治りますから!」 という言葉に励まされ、第3回でも述べたような、『母性』?に支えられ、全く治ることを信じて疑いませんでした。 そのおかげでしょうか?息子の心臓の穴はその後定期検査の度に回復し、3歳までに完治することが出来たのでした! 「大丈夫!普通の子と同じように走ったり運動したりしていいですよ。なにも制限することはありません。あとは小学校に入る前にもう一度検査すれば良いでしょう。」 主治医の先生のその言葉が今でも忘れられません。 来春、一年生に上がる前、検査に行こうと思っています… 初めての子を出産したあと、多くの人が気づくのと同じように、私も母乳の不思議なメカニズム、つまりは自分の食べた物がそのまま子供の体調を左右するということに気づきました。 そこで今まで無頓着だった『食』について、こだわらずにはいられなくなるのです。私も御多分に漏れず、『生協』グリーンコープの会員となり、しだいにその分野への興味を深めていきました。 息子はおっぱいをたくさん飲み、すくすく大きくなりました。離乳食も心配したアレルギーも出ることなく、順調に進みました。もうすぐ1歳になるころ、母や祖母から、母乳の回数を早く減らして離乳をするように強く勧められました。 わたしは、わざと回数を減らしていきました…ところがその頃から、あんなに好きだったおっぱいを嫌いになったかのように、子供が授乳中に不機嫌になりだしました。プイッと乳首を離したり、噛んでみたり…おかげで乳首はヒリヒリ…私も授乳が苦痛になり、そうしているうちに、とうとう乳腺炎になりかけてしまいました。 どうしよう…不安のあまり鈴木先生に相談したところ、いい先生がいらっしゃるからTELしてみたらと、同じ助産婦のあの「八木先生」を紹介していただいたのでした。 恐る恐るTELをかけてみると、「大丈夫よ。すぐ診てあげる。」というあの底抜けに明るい声! そしてすぐ診てもらって言われたことは、母たちのアドバイスとは正反対…「おっぱいはもっとたくさん飲ませてあげて」ということでした。 つまり、無理に回数を減らして搾りもせず、溜まったおいしくないおっぱいを飲ませられて…子供は不機嫌になったり、乳首を噛んだりしていたとのこと…。なるほどという感じでした。 おっぱいが嫌いになったんじゃなくて、ほんとうは大好きなおっぱいが飲みたくて、子供なりに訴えていたんだということ。 それからは、授乳を始めて1年もたったというのに、ようやく上手なおっぱいの飲ませ方を習い、先生の指導のもと、おいしいおっぱいのために食生活の改善に取り組みました。 夜中の3時間おきの授乳も復活!おかげで、子供はまた美味しそうにおっぱいを飲んでくれたのでした。 どんなに乳首がヒリヒリして痛くても、乳房がはれぼったくても、先生は薬をいっさい使われません。不思議でしたが、先生のあのマッサージと、ジャガイモ湿布を自分で作って当てたり、自然の力を借りることによって、乳腺炎も乗り越えることができました。 平成8年6月老人保健施設も無事完成。玉名の病院もリニューアルし、介護支援センター、訪問看護ステーションをスタートさせ、「悠紀会病院」は、玉名の地域医療に貢献していきました。 育児や家事に負われる余裕のない日々を過ごしながら、私は、かねくらに残された不動産について、漠然と考えるようになっていきました。 しかし以前と違って、あの出産・育児を体験し母となった私は、以前のようにただ会社の存続と利益の追求ということだけには、なにか虚しささえ感じるようになっていました。 何かが違う…何かが… 生きることに一生懸命で、さあ這いだした!さあ立った!さあ歩いた!と、1日1日成長をつづけるいたいけな子供を傍で見守っていると、この子が生きてゆく時代に思いをはせずにはいられないのです。 この子たちが生きる時代…新世紀…! その頃私は一冊の本に出会いました。 コモンズの「健康な住まいを手に入れる本」でした。 まさしく題名とおりの本でした。ショックでした。 そして、この本と出会ったことをきっかけに、 わたしは「エコマンション」建設へ、遠い道のりを歩き始めたのでした。 |
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