Aさんとの別れを、自分のなかで「一つの節目」と自覚し、前に進むことしか考えていなっかた当時の私です。
ところが、一夜明けて私を待っていたものは、当然、父や、主人への説明責任でした。
自宅のリビングで、父と主人に向かって昨日までの経過を報告しました。
当然受けるであろう父からの叱責・・・ところが、はっきり言って、父は怒りをとおり越して、
「またこのわがまま娘が、拙速し過ぎてやらかしてくれたな!」
と、もう、なかばあきれ返った様子でした。
いつも冷静さを忘れない私の主人も含めて、その様子は手に取るようでした。 父は言います。
「お前の言うこともわかった。確かに正しいことを言っていると思う。ただし・・・」
「お前はなにか勘違いをしている。この狭い熊本で、またいつ、どこで、誰にお世話になるかもしれないんだぞ!人との関係を、気に入らないからといって、ぶつぶつ切っていく奴があるか!」 「だって、向こうが・・・。」
そういいたい私の言葉は、口から出ることもなく、消えていきました。
人生の大先輩、そして長い経営者としての経験からくる父の言葉の重みは、私の感情を抑えきれず口から飛び出してしまう、そんな言葉とは違って、本当にズシリと心に覆いかぶさるのでした。 そして、父は、Aさんに支払った契約の手付金について、
「お前の勉強料とするには、あまりに大きすぎる額だぞ。いったいこれからどうしようと思っているのか?その森さんという方は、本当に後を引き継いでいただけるのか。そしてそれにはいくら位かかるのか?」
矢継ぎ早に出る父の質問に窮しながら、私なりに考えていた、これからのシナリオを説明しました。主人のサポートを仰ぎながら・・・ それまで個人的に、2、3度、森さんと連絡し、ケースバイケースでお聞きしていた設計監理料をもとに、
「残念ながら、結果的にこうなってしまったので、これでどうでしょうか?」そう父に申し出ようとした、そのとき、 「ピンポン!」玄関のチャイムが鳴りました。
「はい。」出てみると、
そこに立っていらっしゃったのは、まぎれもなくAさんだったのでした!
「あっ!」
思わず口をつぐんでしまった私です。 Aさんがおっしゃいました。
「昨日はすみませんでした。」
「一晩よく考えてみましたが、昨日お会いした時点では、もうこのお仕事からはずさせて頂いた方がよいと思いましたが、このまま終わるのはやはりどうしても悔しい。ですから、奥さんがおっしゃっていたその設計士さんに、ぜひ指南していただいて、その“健康建築”の分野について勉強させていただきたい、ぜひ一緒に仕事をさせていただきたいと・・・思ったのでした。」
そうおっしゃるAさんの目は、梅雨の晴れ間にとても輝いていました。
「お父さんやご主人にもよく相談なさってみてください。」 「わかりました。私こそ昨日は感情的になって申し訳ありませんでした。よく相談してお返事させてください。」
そう申し上げました。 Aさんは、そのことだけを伝えられ、私の自宅をあとにされました。 「ほら、みたことか!」
ここぞとばかりに、父の語気が強くなっていきます。
「お前が言う、健康的な建物を建てたいということもよくわかる。ただし予算もあるだろう?A さんとのこともとても大切なことだ。予算のなかで、皆さんにお世話になりながらどうやって現実可能なものにしていくのか・・・」
「とにかく、お前の信頼する森さんによく相談してみなさい。」 さあ、もちろんそれからは、資金繰を含め、もう一度プランの練り直しです。
父や主人の意向を踏まえて、Aさんもここまでおっしゃっていただいた訳だし、なんとかならないか・・・ そしてようやく練った案を持って、私は再び森さんとお会いすることにしました。 森さんに、これまでの経過を詳細に説明し、できれば私もAさんのお気持ちも汲み取りたい旨をお話しました。しかし返ってきた答えは・・・ 「よくわかりました。ですが、一緒にやるということは残念ながらご遠慮したいのですが・・・まだ始めてそう長くはなりませんが、私なりに苦労して培ってきた“健康建築”についてのノウハウを、そう簡単にお教えするというのは・・・どうでしょうか・・・私としては勘弁していただきたいのですが・・・」
「ただ、お父様のおっしゃる意味もよくわかりますので、なんとか分業という形で、このプランをAさんがお続けになられるようにするためには、どうしたらいいか考えます。」
といったものでした。 以前にもお話したように、「森のくまさん」のような優しいお人柄の森先生をもってしても、私の無理難題のお願いには応じてはいただけませんでした。きっぱりとお断りになられました。
あたりまえですよね。こんなことを言う私のほうが本当に「無理難題」な奴なんです! 「おっしゃるとおりですよね。先生が苦労して培われたノウハウやルートを、そう簡単に同業者の方に教えることなどできませんよね。大変失礼な申し入れをしてしまいました。申し訳ありません。」
「本当に勝手ばかり言って申し訳ありませんが、父の教えもよくわかりますし、Aさんの思いもわかったものですから・・・なんとか他の案で、できるようによろしくお願いします。」
そういって森さんとの打ち合わせを終えました。 「ああ・・・どうしようか・・・。」
私のなかで多少の後悔を残しながら・・・
でもやはり私は、かねくらを起死回生に結びつけ、なかに住む人たちの健康に寄与することができる「エコマンション建設」という青写真だけはあきらめきれませんでした。
そして、それを本当に現実のものにしていくため、ひたすら前を見続けることしかしませんでした。
どうしても、あきらめきれませんでした。 そんなある日、夜明け前 午前4時過ぎ、寝静まる私の自宅に、電話のベルが鳴り響きました。
まだ寝ぼけながら取った電話の受話器の向こうから、主人の父のあわてた声が聞こえてきました。 「お母さんが、お母さんが倒れた。いま救急車を呼んだ!」
「えっ!」
「お父さん、お父さん。わかりました。すぐ行きます。敏夫さんとすぐ行きます!」 主人の母は、くも膜下出血で、12年前に一度倒れていました。
ですが手術を受けることもなく回復することができ、投薬治療を受けながら日常生活には支障のない状態にまでなっていました。 父と二人暮しで、手作りのものを用意しては、いつも私たちが遊びに行くのを楽しみにしてくれていました。孫の雄大の成長をいつもとても喜んでくれていました。
その母が、その母が、倒れたと・・・
どうか神様守ってください。母を、母を守ってください。そう祈りつづけながら駆けつけた病院・・・
そこに待っていたのは、意識不明の母の姿でした。
「お母さん。お母さん・・・。」 どうかどうか神様 母を守ってください!
もう一度、もう一度元気にしてあげてください!
美紀!美紀!守ってあげてください・・・どうか、どうか・・・。 沈黙のときが流れました。
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